#寂鉄劇場

星月夜(ほしづくよ)

第一夜(12/18)

 夕暮れに歩いた道はどこか懐かしさがあった。淡いピンクの山茶花の群生を見たせいかも知れない。
さんまを焼く匂いだったかも知れない。小さな子供の泣き声が聞こえてきたからかも知れない。とにかく僕は夕暮れの住宅街を駅に向かって歩いていた。
以前ほどの数ではないけれど電気代を心配してしまうほどの電飾が瞬いている家もある。僕はいくらか足を速めながらコートの襟を立て直した。寒い。
通りをバスが走った。車内灯が点いていて何人かの乗客と老婆と思える影と目が合った。合ったような気がした。なぜ老婆だと思ったのか分からない。
バスの車内灯は窓際の乗客のシルエットを投影しているだけだった。待てよ、と僕は独り言ちた。

「バス…路線バス」

この路線は廃線になってもう何年にもなるはずだった。街の人口は減る一方で、残っているのは年寄りばかりだ。田舎の人は公共交通が嫌いなのだろうか。
乗客は減り、廃線を決定したバス会社に抗議があったようだが勝手なものだ。バス会社は行政からも懇願され、廃線までの期間を延長した。
その当初は乗客が増えたけれど、二週間もすれば元の木阿弥、誰も乗らなくなった。
僕は通り過ぎた路線バスの後部のどこぞやの温泉の広告をぼんやりと呆けたように追った。
乗客をいっぱい乗せて発車する車掌の警笛や乗客の嬌声と、当時の駅前の賑わいを思い出した。

 

 

#寂鉄劇場

星月夜(ほしづくよ)

第二夜(12/19)

 結局、昨夜は駅へ辿り着くまでに、記憶の中の停車場の丸い標識は見当たらなかった。
昨夜の路線バスだと思った老婆を載せたバスはどこかの老人ホームのチャーター便だったのだろうと結論付けた。
 もう何年も前になる。海沿いの寒村で友人たちとキャンプをしたことがあった。
自然海岸に沿って民家との狭い曲がりくねった隙間を、コンクリートで固めただけの道をバスは軒先すれすれに走っていた。僕は郵便局を探していたのだ。
地元の人に教えられた通りに海岸の、狭く曲がりくねった道を行き、昔は映画館だったという細長い洋館風の建物の角を入った先にあると聞いて探していた。
後ろから小さく警笛が鳴り、僕は軒先すれすれにゆっくりと走ってくるバスに道を譲った。バスの運転手は僕をちらりと見て無表情のまま会釈をして通り過ぎた。
その直後、泣きながらバスを追う若い女性の美しさに僕はしばらく見とれていた。なぜ泣いているんだ。なぜバスを追いかけているんだ。
なぜバスの運転手は止まろうとしないんだ。
 愛した人が町を去って行こうとしているのだろうか。残される哀しみと捉えられぬ絶望がバスを追わせ、涙を流させているのだろうか。
運転手は去っていく男に止まらないでくれと懇願されていたのかもしれない。
そんな情景に出くわして、手にしていた葉書の文面がひどく陳腐に思えて郵便局へ行くのを僕は止めたのだった。

  

 #寂鉄劇場

 星月夜(ほしづくよ)

第三夜(12/20)

 仕事を早く終えてどうしようかと迷いながら歩いていた。いつもと同じだ。何も変わらない。携帯を手にしたまま駅近くの暖簾を潜った。
返事は届いていなかった。熱燗酒とおでんを三つ。大根、玉子、焼き豆腐に刻み葱をたっぷり載せてもらう。店内は早い時間から賑わっている。
疲れていない僕はその賑わいに溶け込むことができなかった。アレはまだ働いているのだろうか。僕は僕の仕事自体に不安を抱えていた。
それよりも自分自身にだ。
 
駅前のイルミネーションの周りでギターを弾きながら路上ライブをやっている若者や写真を撮っているカップルたちがスローモーションの映像のように目の奥を流れた。アレはまだ仕事をしている。僕の足は帰ることを躊躇っている。何を待っているのだろうか。
待つ事のつまらなさ。待たせるよりはましかと慈善者ぶっている。いやそんなことはない。考えれば鼓動は高ぶるのだった。アレの仕草を思い出している。
 
グラスの水滴をなぞる指。一粒の水滴は膝に落ち、弾ける。やがてアレの手は僕の背中を掻く。長い首に僕の腕が廻る。髪の匂い。柔らかな頬。

 

 

#寂鉄劇場

 星月夜(ほしづくよ)

第四夜(12/21)

 安易な言葉が脳裏を過った。そしてその言葉は頭の中をぐるぐると回り続け、背筋を通って胃の辺りを駆け巡って心臓に達した。
ポケットの中で震える携帯電話を握った。
「行く」とだけ入力し、返した。
 
夜の雑踏は昨日までと変わることはない。コートの襟を立て、速足で改札口を通り過ぎる人たちを見送りながら僕は街へ戻ることにした。
 偽善という言葉が僕の足を掬う。嘘つきと罵る声が聞こえる。北風の冷たさに身勝手を被せて耳を覆う。僕は自分の感情を信じている。
この瞬間に間違いはないのだと・・・
 
横断歩道の信号が赤に変わった。暗闇から子供が走り出た。一瞬クラクションが鳴ったように思った。誰かが叫んだ。
クリスマスイルミネーションの明滅する灯りが横へ広がった。青い光が散って見えた。
子供を避けた車のヘッドライトの灯りがそのまま僕の目に飛び込んできた。

 

#寂鉄劇場

 星月夜(ほしづくよ)

第五夜(12/22)

 僕はまだ小さな子供だった。何度も同じ夢を見た。それがどのような意味を持つ夢だったか思い出せない。
空を飛んでいると思えばスピードの出ないオートバイに乗っている。アクセルを目いっぱい開けるのだが走らない。
腕を振ると一気に空へ舞い上がる。僕の住んでいる街を鳥瞰する。電線に当たりそうになるが、手のひらを少し動かせばスイとかわせる。
歩いていた。階段を昇ろうとして突然に足を踏み外してビクリと身体が緊張する。
 母の柔らかな手が僕の額に当てられる。そしてどうしたのかと問う。
僕はそれまで見ていた夢の内容を説明することができず、怖い夢だったと言うしかできなかった。
 
暗闇の遠くに青い光が見える。いやオレンジ色だ。緑色なのか?点いたり消えたり、揺らめいたり止まったり。
ゆっくりゆっくりと近づいてくるように感じる。暑さはない。寒さもない。かと言って快いこともない。

 声がする。

 誰かが僕を呼んでいる。  

 誰かが呼んでいる。 

 僕の名を・・・

 

 

 #寂鉄劇場

 星月夜(ほしづくよ)

第六夜(12/23)

「いつになったって私はおまえの母親さ。おまえが60になっても80になってもね」

母の声がした。なんの抵抗もなく僕は応えていた。

「そりゃそうだけど、母さんは・・・この世にいないいし」

「ああ、ちょうどあの世とこの世の間くらいだろうね。見てるよ。いや、見えてるよ。いつだっておまえのことは見えてるさ。母親だからね。
でも離れているから小さくしか見えなかった」

老婆、いや僕の母がそこにいて、そこで笑っているのだ。記憶の母より少し老けて少し太って少し小さくなっている。
大人の僕は子供なんだ。小さな子供。何かがおかしいと思いながら違和感はなく、子供の頃より素直な気持ちが心にあふれていた。
素直さが、従順さがこれほど気持ちいいものだったのだと不思議なあたたかさに包まれていた。記憶にはない、これが羊水なのだろうかとも思った。

「今はおまえがよく見えるよ。可哀そうに。運が悪いと言えばそうなってしまう。おまえは小さいころからそうだった。いい子なのに。
運動会でいつも一等賞だった。参観日の算数の時間のことはよく覚えてるよ。クラスで一番の子が解けなかった問題を解いたんだからね。
お母さんは鼻が高かったよ。ほんといい子だよ」

「母さんは生きているの?もしかして僕は・・・」

母の声は次第に小さくなって、僕は眠ってしまった。

 

 

#寂鉄劇場

星月夜(ほしづくよ)

第七夜(12/24)

「母さんはあの世で生きているの?」

「生きている・・・か。そうね、生きているんだわ」

「じゃあ、あの世でもまた死ぬってこと?」

「だろうね。死んだら次のあの世へ行っちまうんだろうね」

「次のあの世でまた生きて、また死んで次の次のあの世」

「そうね。そうしてまた次の次の次のあの世」

僕らは笑った。笑いながら僕は重大なことに気付いた。

「この世に母さんがいるってことは、もしかして今いるこの世はこの世じゃなくてあの世ってことはないよね。
もしそうだとすると僕はあの世にいる。つまり、あの世の母さんにこの世で会っているってことは・・・」

この世はこの世ではなくてあの世ってことになるのか?僕は・・・もしかして死んじまったのか?背筋に悪寒が走った。
膝が震え、血の気が引いていくのが分かった。手指が凍ばって動かせなくなった。

「そうだね。おまえはいつだって運が悪い。おまえは今、死にそうになっているだよ。さっきも言ったろ。
おまえはいくつになっても私の子供。そして母さんにはなんでも見えている。母さんはね、おまえをどうしようかと考えていたの。
バスの中からおまえを見ていたの。あの世とこの世を繋ぐバスだよ。それに乗ったの。近くでおまえを見たくてね」

「あっ あのバス。廃線なのに走っていたあのバスのこと?」

僕は何日か前に出会ったバスのことを思い出した。老婆がじっと僕を見つめていたあのバスだ。

「あれは母さんだったの?」

「気付いていたんだね」

母は優しく笑いそう言いながら何度も頷いた。

「浮気はだめだよ。でもいい娘だね。よくよく見ると私にそっくりだ。ふふふ、でもだめよ。わかってるわよね」

「えっ」

「だから見えてたのさ。遠くにうっすらと」

僕の母は僕の頭に手を置いて「いい子いい子」と褒め撫でるように小さく頭を揺さぶった。

「だめよ」

そう念を押して僕の頬を抓った。

「さあ、お行き。あの世で母さんが生きていたらいずれまた会えるよ」

「父さんは?」

「父さん?ふふふ、別居中だよ」

「あの世でもそんなことできるんだね」

「さぁ、お行き。母さんの乗ったバスを追いかけるんじゃないよ。運転手が止まったらもう戻れないよ」

母はそう言ってまた僕の頭を撫で、そしてやさしく背中を押した。

 

 この冬一番の冷え込みだと誰かが言っていた。カバンを脇に抱え、コートのポケットに手を入れた。何かが入っている。
手袋・・・誰かのを間違えてポケットに入れたんだろうか。まるで記憶にないことだった。
茶色い毛糸の手袋だった。手首の部分は白い毛糸で編まれている。
子供のころに母が編んでくれた手袋に似てるなと思いながら手に嵌めて暖かさを確かめるように口元を抑え大きく息を吐いた。
手袋の指の間を通った白い息が空に舞った。駅前の青い電飾が目に染みた。

 神々しいまでに凍った夜だった。客待ちタクシーの赤いテールランプが並んでいた。
道路は凍っているのだろうか、クリスマスイルミネーションの明滅を映して輝いていた。何台ものパトカーの回転灯が回っている。
信号機の電柱に衝突した事故の現場検証のようだった。犠牲者がいなければいいがと心の中に思った。

地上も星月夜だなとまた独り言ちた。

「メリークリスマス」

誰に言うでもなくそう小さくつぶやき、手袋を穿いた手を空に翳した。その向こうには満天の星が輝いていた。

 

おわり
2017.12

inserted by FC2 system